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『評価経済社会』を読んで : スマートノート始めました。

評価経済社会 岡田斗司夫 ダイヤモンド社

https://amzn.to/3rXlYXr

評価経済社会

本書は1995年に書かれた「ぼくたちの洗脳社会」が2011年に再出版された未来予測
の書です。

未来予測と言えば数年経つと陳腐化してしまうものが多いのですが、本書は27年前
にもなるものですが、その内容は恐ろしいほど正確です。筆者の恐ろしいほどの知
性が伺われます。

私も自分で未来予測をすることがあります。ひらめきから生まれるものもあれば、
熟考から生まれるものもあります。
未来予測は自分の願望によって乱されます。こうなって欲しい、こうなることが正
しいことだ等という人間の願望が正確な予測を捻じ曲げてしまうのです。

自分の矮小な小我が技を歪めてしまうという点では合気道と同じ構造をしていると
言えるでしょう。より大きなものに身をゆだねるということが大切になってきます。
合気道で本質的な力を身につけるということと未来予測は大きく重なるところがあ
ります。

以下は私の未来予測です。

将来、人は国家に幸福を依存しなくなる。現在、神に真剣に幸福を願うことがない
ように。

https://aikidomori.com/post-26/

COVID-19の騒動は「World War V」かもしれない。Vは Virus(ウィルス)であり、当
初は気付かなかったがVax(ワクチン)でもあります。

https://aikidomori.com/post-97/

そしてVは、5でもある。第5次世界大戦です。第3次世界大戦(冷戦)、第4次世界大戦
はテロとの戦いである。そして現在の世界の状態は「World War V」、第5次世界大
戦です。詳しい説明はしませんが、この表現だけで意図するところは分かる人には分
かるでしょう。これ以上は書けません。

さて私の稚拙な未来予測は置いておいて、筆者の未来予測を見てみましょう。

筆者は近代資本主義による大量消費社会が情報化が高度に進むことにより、評価経
済社会に変わっていくと論じます。

評価経済社会とは、人々が「評価」というものを価値あるものとして社会活動をす
る社会のことです。現在のSNSでのフォロー数を集めるのに躍起になっている人間
の姿を見ればイメージがハッキリするでしょう。

現在の主流は貨幣を追い求める社会構造です。個人は少しでも年収を上げようと努
力し、企業も利益を出すことが必須な目標となっています。

収入や財産や時価価値が個人や法人の価値判断基準になっています。この貨幣によ
る価値判断が「評価」による価値判断に変わっていくというのが、筆者の未来予測
です。

現在の貨幣経済にどっぷり浸かっている私達にとっては想像もできないことです。
しかしキリスト教を至上の価値としていた中世ヨーロッパの人達を思い浮かべて下
さい。神によって救われるか否かを最も大切な価値としていた彼らにとって、貨幣
に取りつかれたような近代人は理解不能な存在です。

そのように大きなパラダイムチェンジが起こると筆者は予想しています。具体的な
未来予想については本書を読んでいただきたいのですが、この未来は何を私達にも
たらすのでしょうか。それは本当に現実になるのでしょうか。

私見ですが、現在の多くの問題が資本主義が密接に絡んだものになっています。

・先進国の経済成長率の減少。
・中産階級が減少し超富裕層と貧困層の分断が激しくなることから発生した経済格
差の拡大。
・先進各国の国家債務の増大。
・少子高齢化の拡大による公的負担や若年層への負担の増大。
・大量消費社会は資源や自然環境の点で維持が難しくなってきているのに、それを
解決するシステムが見つかっていないこと。

「資本」とは所詮、人間が作り上げたイメージであり、多くの人が価値があるもの
として振る舞っているからこそ、動いているシステムです。そのシステムが上手く
いかないとなれば、再設計が必須なのですが、それが進んでいないのも現実です。

地球温暖化を抑制するグリーンニューディールやSDGs(持続可能な開発目標)
は、その再設計を目指した動きです。この再設計が上手くいけば、現在の資本主義
を修正しながら運営することが出来ます。各国の為政者やグローバルな資本家とい
った層は、この再設計を進めたいのは当然のことでしょう。ダボス会議、世界経済
フォーラムでも、そういった流れが議論されています。

こういった話を陰謀論として片づけたい方々がいるのは分かりますが、現在の世界
で強い権力をもっている層が明示的にも暗示的にしても、資本主義を修正していこ
うと協力しているというのは、当たり前のことだと思います。それは現在の自分達
の権力を維持することであり、その意図を好意的に見るなら現在の世界システムを
上手く運営するということにほかならないのです。

例えば、地球環境があまりにも激変すれば支配層の持つ資産も減少する可能性があ
ります。自分達が権力の座から滑り落ちることは絶対に避けなければならないこと
ですが、自分の支配する世界が滅んでしまっては元も子もありません。彼らとして
も世界は守らなければならないのです。自分達が支配する大衆層が滅ぼすことなく
支配するシステムを維持したい。そういったことを支配層が考えているということ
は非常に自然なことです。それを陰謀論として考えてしまうというのは、その考え
自体が支配層のプロパガンダに引っかかっているのでしょう。

グリーンニューディールも、その視点で理解できます。再生可能エネルギーを中心
とする社会を作るには大規模で長期的な投資が必要です。その投資により先進国の
低成長経済を救うことが出来るかもしれません。地球規模での再生可能エネルギー
のルール作りに関与できる人々は長期的な利益が得られる可能性があります。

結果として現在の資本主義は「地球に優しい」資本主義として修正され、現在の支
配層も、その地位を維持することが出来るのです。勿論、副次的な意味かもしませ
んが、地球環境は維持され、被支配者である大衆層の利益もある程度の範囲で維持
されます。

大衆層が資本主義から離脱したり、共産主義革命のように支配層への反乱を起こす
ようでは支配のコストが跳ね上がってしまいます。そういったリスクを避けながら、
自分達の支配を継続することがグリーンニューディールの第一の目的でしょう。

SDGsの動きは既に国民国家の意思決定を超えています。ある国の国民が主体的
にSDGsに反対するということは難しくなってきています。表面的には各国が協
力しないと解決しない問題であるという縛りがあることになっています。

各国の主権を超えて世界をマネージメントしようとする動きとしては新型コロナウ
ィルスを巡る動きも同じ構造を持っています。地球環境を守るだとか、パンデミッ
クの被害者を守るという意図は確かにあるのでしょうが、それは副次的な意味しか
持っていません。世界全体を「より良き」方向に管理していくことが支配層の最も
大切なことでしょう。

さて、こういった修正資本主義は上手くいくのでしょうか。私は長期的には修正策
も破綻すると考えています。それでも心配することはありません。評価経済社会が
拡がっていけば長期的には「資本」に関する問題は消滅します。人々は貨幣を求め
るのではなく評価を求めて動くようになっていきます。「資本」の意味は減少し、
問題は消滅していきます。

中世ヨーロッパでは人々にとって「神」が大きな行動の源泉でした。「神」に祝福
されないと生きていけないし、教会から破門されたら社会的にも生きていけない状
態でした。現在では、そんなことは全くありません。

未来の社会では「貨幣」や「資本」で悩むことはなく、その代わりに「評価」で思
い悩むことになるのです。

さて、本当に評価経済社会が到来するのでしょうか。一つ大きなハードルは「評価」
が貨幣とは異なり、直接の交換価値を持たないことでしょう。「評価」を高めるよ
うに人々が行動することは十分、想像できます。しかし、その「評価」で「商品」
を購入するということは現実的でない気がします。

評価経済社会が成立するということは「一物一価」のマーケット以外の個別のやり
取りでの「交換」が成立してくるということです。

資本主義のマーケットでは同じ商品は同じ価格を持ちます。仮にどこかで安い商品
があれば誰がそれを見つけて購入し、高く売れる環境で売り出します。その利益は
価格差を見つけた者が手にします。この仕組みは「商品」を「貨幣」という形に変
換することで動いています。この仕組みの中では全ての人が「貨幣」を集めざるを
得ないのです。

未来の評価経済社会では、この資本主義のマーケット以外のマーケットが成立して
いるでしょう。高い「評価」を持つ者が「商品」を資本主義のマーケットよりも割
安に購入出来るのです。

例えば、多くのフォロワーを持つ人や企業が、ある商品を特別に安く購入出来る代
わりに、その商品を宣伝して、その商品の「評価」を上げるという仕組みが考えら
れます。こういった仕組みでの取引がIT技術で個別で膨大につながり最終的には従
来の資本主義のマーケットを超えてしまう。そんな未来が考えられます。これが人
々が「評価」を第一に考える社会です。

ハッキリとイメージが出来ない人はこんな未来を考えたらどうでしょうか。

多くのフォロワーを持つインフルエンサーがNETFRIXを月1回、番組の感想を書く
ことで無料で見られるとしたらどうでしょう。シェア情報やフォロワーの反応はAI
がチェックする。NETFRIXにとって、なかなか良いビジネスプランだと思いません
か。こんなことを、そこら中でやりだす。これならば「評価」が利益に直結する社
会も夢ではありません。

評価経済社会とは、人類の社会発展の一段階で出てくるもので、決して楽園ではあ
りません。現在の社会よりも厳しい側面も考えられます。「評価」を維持できなく
なった人の苦悩は現在よりも大きくなるでしょう。

芸能人などで、まだ訃報が耳にしたことがないから、恐らく生きているであろうが
最近、ぱったりと社会に出なくなっている人はいませんか。私はこういった人を思
い浮かべる度に、既に認知症や介護で既に社会活動が出来なくなっているのではと
勝手に判断しています。まだ死んではいないけれど、社会には出てこれなくなって
しまっている。

恐らく、家族や介護の人達以外に会える人はいないでしょう。本人は過去の栄光を
思い出しながら、それとは大きく異なる現実に打ちのめされながら死ぬまでの時間
を過ごしていきます。排泄や食事の世話といった自分のファンには決して見せられ
ない姿を無様に極々一部の人間に見せているだけです。

そういった社会的死といった状況が何年か続いた後に本当の生物的な死が訪れます。
その時、私達は初めて、その方が亡くなったことを知り、昔の活躍に思いをはせる
のです。

社会の高齢化が進む中で多くの人が社会的死から生物的死への長い移行期間を過ご
さざるを得なくなっています。

こんな時、頼りになるものの一つはお金であるので、皆、老後のためにお金を貯め
ようとするわけです。お金があれば絶望的な移行期間も、何とか過ごすことができ
る。偏屈じじいでもお金さえあれば人からまともに扱ってもらえる。それだからこ
そお金に頼らざるを得ない。それが現在の姿です。

ところがお金よりも「評価」が価値あるものとして扱われる社会は老人たちをより
絶望的な状態に陥れます。今までの老人たちの態度ならば「評価」を上げることは
難しい。今まで自分を支えてくれたお金の価値は相対的に減少してしまっている。
姥捨て山のように偏屈な老人が周りの人から排除される風潮も出てくるでしょう。
お金の支えはありません。何よりも自分自身が偏屈な自分のことを社会のゴミのよ
うに感じてしまうでしょう。

現在では一般的に老人は偏屈なものです。その偏屈な人にとっては評価経済社会は
圧倒的に生きづらいものになるでしょう。長生きしたいというより、どうやって死
ぬことが幸せなのかを考えなければならない世の中になるでしょう。

そうして老人は社会の中から見えなくなっていきます。150年前に日本から武士
が消えてしまったように、多くの老人が意味のないものとなり消えていくのです。
時代の流れの中では、いずれ私も消えていく老人層と同じ年齢枠に入っていくでし
ょう。決して他人ごとではない問題です。

大きな視点で見れば筆者の未来予測がいかに的確かが分かるでしょう。他の筆者の
仕事にはスマートノートというものもあります。実は私も今年からこのスマートノ
ートを始めました。なかなか面白いものです。いつか、その成果を紹介できる時が
来るかもしれません。

セミナー等の依頼はこちら。 About request for the seminar is here.

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