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映画『新聞記者』を見て

2020年8月13日

3月6日、第43回日本アカデミー賞の授賞式が行われ、新聞記者が作品、主演男優、主演女優の3部門で最優秀賞を受賞した。

今回は、急遽、予定を変更して、この映画評を行いたいと思う。

政治サスペンスのフィクションのかたちを取ってはいるが、ストーリーは明らかに現在の日本の政治状況を克明に描き出している。

映画中で出てくる様々な案件に、実際に現実で起こっている事件がオーバーラップする。加計学園問題や森友学園問題や山口詩織さんの事件や内閣が行っているマスコミやネットでの情報操作が、それである。

映画の宣伝文句では、その表現に「衝撃」というような言葉を使っている。現在の政治状況にあまり関心のない方々には「衝撃」かもしれないが、私にとっては、至極、当たり前のことが描かれているにすぎない。これが今の日本の現実である。

本映画が広く一般の方に現在の日本の政治状況を知らしめたということは意味のあることであるし、製作者、出演者、関係者は勇気のある決断をしたのであろう。その勇気には敬意を表したい。

主演の松坂桃李は俳優として仕事が無くなるかもしれないというリスクを取って臨んでいるだろう。もう一人の主演シムウンギョンの役には当初は別の日本人の女優にオファーをしたが、政治的な作品ということで、断られたそうだ。このリスクを受け入れられない俳優がいるのも当然の話である。役者本人に政治的な色がつけられてしまえば今後の役者活動に大きな影響を及ぼす。この日本の芸能界を取り巻く状況は理解できる。

結果としてではあるが、可愛らしい日本の女優が新聞記者の役をやるよりもシムウンギョンがやる方が作品としては格段に良くなったのだと思う。シムウンギョンが不細工だと言うつもりはないが、日本人が考える「可愛い」とか「美しい」の枠に存在する女優ではない。それであるから、この二人のやり取りにラブストーリー的要素が全く存在しない。非常に緊張感を持ったストーリーになっている。

ただ、現実の日本の政治は、この映画のような巨悪でもない。もっと無計画で戦略性もない。為政者が自分たちやお友達が利益を、いかに吸い上げるかということ思い付きでやっている。矮小なクズどもが悪事を行っているのであって、ラスボスのような分かりやすい悪の象徴が存在しないのである。だからこそ、余計に重症だともいえる。

フィクションであるからこそ巨悪を想像させるストーリーになっているのだが、もう一歩、踏み込んでいただけたらと思う点がある。

映画の中では日本政府が生物化学兵器研究のために大学を新設する計画を進めています。これに対する政府側の反論が出てこないのである。「軍事研究=悪」という図式でストーリーが進んでいく。

ここで松坂桃李の上司が「日米安保を守るために、この研究が必要なのだ」とか、逆に「日米安保体制からの独立を目指すためにも独自の兵器研究が必要なのだ」という主張が出てくれば、このストーリーは単純な正義と悪の対立ではなく、複雑な状況になっていく。

この方が難易度は上がるであろうが、日本の政治問題の根源的な問題が明らかになる。

日本の政治問題の根源は日米安保である。政治家や官僚の能力や意志に由来する問題は、その派生的なものに過ぎない。

日米安保があるから、日本は国の行く末に関わる重大な決定を全て米国の意向に従うということで丸投げしてきた。その思考停止が問題なのである。

現状が日米安保が必要ならば、それがどの分野で、どれほど必要であるのか。そのためのコストは利益に見合うものなのか。日本独自の決定はどれほど可能なのか。将来的な日本の本当の独立に向けて長期的に何をしていくのか。そういった思考が必要なのである。

ただ、この視点を持った映画は現時点では日本の大衆には理解されないであろう。映画が商業的に成功するには、その見極めが大切である。本作はそれを見極めた。

私はこの映画を批評しているのではなく日本人自体を批評しているのだ。

現在は2020年3月8日。同作品の日本アカデミー賞受賞のニュースは、ほとんどメディアで取り上げられない。『新聞記者』はフィクションであるが、現在の日本の現実そのものである。

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