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「資本主義だけ残った」を読んで

資本主義だけ残った ブランコ・ミラノビッチ みすず書房

 

現題名は「Capitalism Alone」邦題では資本主義の強さを誇示する印象を受けるが、
実際に論じられている問題はそうではない。資本主義の是非は置いておいて、それが
現在ではシステムとしてどのように機能しているのかを論じている。

まずは現在の世界には二つの資本主義システムしか存在しないとする。一つが私達、
日本をはじめとする国々が採用する「リベラル能力資本主義」。もう一つは中国やベ
トナムが採用する「政治的資本主義」である。

従来のマルクス主義の見方である資本主義が最終段階で共産主義に変わるという見方
を否定して発展途上国が資本主義が追いつくために採用したのが共産主義だとする。

為政者の方針はどうであれ、この「共産主義」により資本主義の観点では発展途上に
過ぎない中国は大発展を遂げて、今に至る。

「リベラル能力資本主義」は歴史的に姿を変えてきた。

資本主義の勃興期の「古典的資本主義」。社会保障制度が整っていないで資本家がド
ンドン裕福になり、労働者がドンドン貧しくなっていく世界。マルクスの共産党宣言
の土台となった世界である。これが最も初期の資本主義である。

これが「社会民主主義的資本主義」へと変わっていく。社会の中で再分配が進み、資
本家から労働者に利益が移動して中間層が誕生していく。東西冷戦期の終了までは、
概ね、西側先進国は、この資本主義に属していた。

最後は現在の「リベラル能力資本主義」である。個々人の能力が資本主義のルールの
中で自由に取引されている。市場も地球全体に広がってしまった。この世界では自由
だからこそ不平等がひたすら拡大する構造を持っている。

資本が高い利回りで運用される。金持ちは、より金持ちになりやすい社会である。ま
た金持ちは労働者としても高い年収を稼いでいる。金持ちの方が労働市場で高い収入
を得る能力を持っているのだ。その個人の能力を賛美するのが、私達の「リベラル能
力資本主義」の世界である。

金持ちは金持ちと結婚する可能性が高い。もちろん、これは自由恋愛の結果である。
裏を返せば貧乏人は貧乏人と結婚する可能性が高い。もしかしたら、今では結婚でき
るだけでも、上級貧乏人なのかもしれない。

私達の社会の構造として不平等格差が拡大していく。

昔は機能していた「社会民主主義的資本主義」での格差是正のシステムは働かないの
だろうか。

昔に比べて現在は労働組合の勢力縮小している。労働者が地球的規模の資本主義市場
に存在することで労働者の団結が難しくなっているのだ。

大衆教育の拡大も限界に近づいている。多くの人が大学教育まで受けている。これ以
上の学習が不可能になってきている。教育を拡大することで得られる格差縮小効果は
あまり残っていないのだ。

税による所得移転、つまり金持ちから高額の税金を取り上げて貧乏人に分けようとす
る政策もグローバリゼーション下で金持ちがどこにでも資本を移動できる状況になり
難しくなってきている。

つまりは「リベラル能力資本主義」での不平等の拡大は構造的なもので根本的な是正
が難しいものなのだ。

片や「政治的資本主義」はどのようなシステムなのだろうか。この制度は中国、ベト
ナム、シンガポール、マレーシア、アフリカ諸国が採用している。一言でいうなら、
政治が経済を統制するシステムである。

政治権力が経済や社会を恣意的に統制することが出来るため構造的に腐敗が不可欠な
ものとなっている。中国やベトナムがよい例であろう。本書には言及がないが、シン
ガポールが腐敗が少ないのは570万人という非常に小さな国家であることに由来する
であろう。

「政治的資本主義」は厳然とした理念があって運営されているものではない。歴史的
に遅れた植民地が独立し、ナショナリズムを高め、強力な政治体制で経済を運営して
いく必要から採用したものだ。そのシステムが偶々上手くいっているだけだという考
えもある。偶々の成功例であるからこそ、その一般化した説明は難しい。ただし基本
的に法治ではなく人治に頼ったシステムになる。

「政治的資本主義」の課題はシステムとして不可欠な政治的な腐敗をどれほど許容範
囲に抑えておくかということである。汚職をゼロではなく、ある一定線以下にするこ
とがシステムとして大事なのだ。

ここまで見てきて分かるように筆者は社会を構造的に捉えている。多くの不具合は構
造的なもので本質的な解決法はなく、その緩和措置を行うしかないというものだ。

移民と福祉国家の関係についての論考もその傾向が強い。結果として高能力な移民は
低福祉国家に集まるというのだ。片や高福祉国家には低能力な移民が集まる。これは
移民が自由意思で自分にとって有利な国へと移動することから生じる。

この結論は冷酷で恐ろしい。高福祉国家のヨーロッパには低レベルな移民が集まり、
福祉を切り捨てている米国には高レベルな移民がアメリカンドリームを求めてやって
来るのだ。その論理ならば日本に高レベルな移民がやってくることはない。

移民を取り巻く問題は最終的には、低所得国と高所得国の平準化、つまり金持ちの先
進国が貧しくなり、貧乏な低開発国が金持ちになり、両者が釣り合うようにならない
限り解決しない。

移民の社会に対する圧力を緩和するには、全体の福祉を減少させるか、移民を二等国
民のようにして、その受け取る福祉サービスを限定させるか、移民を短期間の滞在で
しか認めないで一定期間後は国外へと移動させるしかないと論じる。

それが上手くいかない場合、低所得者の移民のスラムが生まれてしまう。これは移民
を多く受け入れている社会で多く発生していることだ。

「リベラル能力資本主義」での構造的な不平等の拡大にも以下のような緩和策を用い
るしかないとする。高所得者層への資本所得への高率課税、二等市民待遇への移民拡
大、公的教育の拡大、個人の政治献金の禁止。詳しい説明は省くが、これらの政策も
グローバリゼーションの影響を受けて効果は限定される。

筆者は今後も資本主義は拡大することを予想している。この世界からの脱出手段はあ
るのだろうか。

これには悲観的な見方しかない。多くの人は資本主義のシステムから撤退できない。

公的教育の拡大を政策に挙げていたオバマ大統領の娘も私立エリート校へ行くのであ
る。資本主義のルールから脱出することは、そのルールの中では敗北になるのである。

なぜなら現在は、お金が成功や権力を表す世界だからである。仮にそこから抜け出そ
うとする者がいたとしても、それは十分な高額所得を持ったものだけなのである。

セレブだけが資本主義から離れた優雅な世界に行くことが出来る。資本主義から離脱
するためにも資本が必要、今はそんな世界なのである。

筆者は資本主義の未来を冷酷に予想する。

資本主義はあらゆる分野に入り込んできている。それは家庭の中にも侵入してきてい
る。家庭内で料理を作ったり、掃除をしたり、洗濯をするという行為にも商品化の波
が押し寄せている。

最初は家庭内労働の機械化であったかもしれない。炊飯器や洗濯機や電子レンジとし
て、それはやってきた。現在ではウーバーイーツや家政婦サービスや介護サービスも
侵入してきている。

子供の教育も公的な教育や各種の塾やクラブに任されている。昔ならば家庭の中でお
金が絡まない中で行われていた労働が次々と資本主義の商品となっている。これが資
本主義の深化である。

今後も家庭内も個々人に原子化されて商品化されていくと筆者は予想する。家庭が資
本主義によって徹底的に商品化されたとき、家庭というものの姿はどうなるのだろう
か。

資本主義では継続的な取引があるかどうかで商習慣が変わってしまう。継続的な取引
がある場合は道徳的に振る舞うことが長期的な利益につながる。資本主義がより深化
してしまうと全ての取引が大規模な市場でのものとなり、継続的な取引が減少する。

そうすると経済的道徳に従って振る舞うことが無意味化する。全ての取引が市場化す
る。その世界は信用というものが非常に不明確なものになる。資本主義の悪夢の一つ
である。それに比べたら中国で使われている信用スコアで人間の全ての取引を判定す
る社会の方が余程まともに思えてくる。

また筆者はユニバーサルベーシックインカム(UBI)についても考察している。筆者
はUBIには否定的である。現在は制度がよく見えない状態で相対する両者がUBIを支
持するようになっていると論じる。

経済右派は高所得を維持したまま社会を回す方法、つまり複雑な福祉制度を整理して
無駄をなくして最低限の再分配で社会を回す制度だとしてUBIを支持している。貧乏
人にあまりお金を渡さなくても社会不安が無くなり経済が継続的に回るシステムだと
している。

片や経済左派は富裕層から継続的に所得移転を行う方法、つまり金持ちから効率的に
継続的に貧乏人にお金を移動させるシンプルな制度として支持している。

つまりUBIという制度が現実になった時、この協力は崩壊するのである。その時、起
こる社会現象がどのようになるかは不明だが、現実が見えたときに人は夢から醒める
のである。

憂鬱な未来予想ばかり続くようだが、楽観的な予想もなされている。それは当分の間
は人類文化が滅びることはないというものだ。現在、世界中のあらゆる分野で技術や
情報は分散的に保存されている。戦争や天変地異で地球上のかなりの地域が被害を受
けても人類の相当数が死亡しても、その地域外でテクノロジーは保存されている。

グローバリゼーション下で資本主義は戦争や天変地異を超えて回復を果たす。

「北斗の拳」や「マッドマックス」のような世界は訪れない。それほど資本主義は強
いのだと筆者は述べる。

資本主義をコントロールすることを考えれば「リベラル能力資本主義」ではなく「政
治的資本主義」の方が有利であろう。資本主義に代わるものが現れるまでは資本主義
を使うしかないのだろう。これが私達の現実だ。

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