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E-mail Magazine Archive(2/July/2019)

森智洋の部屋メールマガジン 第94号の記事の一部です。

今週の稽古日誌 Practice comment in this week(2019/May/31)

https://aikidomori.com/post-47-1083.html

今回のテーマは「合気道の目指す方向」です。

合気道は取りと受けの共同作業です。

The theme in this week is “The Direction aiming in Aikido”.

Aikido is combination work Tori and Uke.

以下はこの記事の裏つぶやきです。

母国語でしか表現出来ないコアな話です。

発言の趣旨は明確だと思います。

あまりにも受けに依存した稽古や演武は合気道を間違った方向に導く危険性が
あるというものです。

この論点には大きな欠点があります。この「あまりにも」という基準が、人に
よって異なるということです。ある人には過剰な受けも、別の人には適切なも
のになるということは容易に想像できることです。

ここの部分、適切な受けというものは、何を持って決定することことが出来る
のか。これが明確にならないかぎり、受けは取りの望むとおりに動くという現
象は避けられないでしょう。

「受けに依存するな」という発言が、ただ単純に自分とは考え方の異なる合気
道への批判に使われるということは十分考えられます。

ずっと以前から、取りと受けの間の関係をきちんと整理するものはないのかと
考えてきました。現在は取りや受けが現象としての結果に依存して動いている
状態です。つまり、取りが受けに依存するならば、結果としてよいパフォーマ
ンスを出すために受けの努力を過度に要求することになりますし、逆ならば受
けが何もしなくても取りが、その解決の全てを要求されるということです。ど
ちらも合気道としては相応しくない結果に陥るでしょう。

その中間点で明確な基準が見出すことができないだろうか。私の答えは理合に
両者が合わせるというものです。一つの技の中における身体や意識の操作の理
合を明確にし、その理想のかたちに対して双方が合わせていく。結果のパフォ
ーマンスが上手くいくかどうかの責任は提示された理合に対しての過不足で双
方が負う。

そんなことを考えています。

具体的には理合の明確化が難しいことや、実際に起こっているパフォーマンス
中の、取りと受けの行動の評価が当事者でないところからの判定が難しい等の
ことから明確さという意味では困難な部分が多々残るのが現状です。

そして多分、こちらがもっと面倒なことなのでしょうが、理合の明確化は多く
の幻想を排除してしまいます。現在の合気道は多くの人が幻想の世界をみんな
が協力して作っている世界です。私は幻想がなくなった世界の方が素晴らしい
と手放しで言えるほど幼くはありません。どちらの未来がより良いものになる
でしょう。

まだ私の中で解答は出ていません。

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